吉村家のルーツを辿る旅
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吉村家のルーツを辿る旅

10年前に親父が死んだ時、通夜で親戚のおじさんから吉村家の家系図をもらいました。

家系図によれば私が吉村家の10代目で息子が11代目。

吉村家の初代は長州36万石の毛利家の城下町である山口県の萩に暮らしていたとのこと。

その後、防府に出て旅館業を営むようになり、高祖父は幕末には高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋等の維新の英傑たちを支援したとか。

明治になって山縣有朋の提案でこの高祖父が営んでいた旅館が防府天満宮に「暁天楼」という名前で移築保存されていることもこの時知りました。

ところが。私、萩にも防府にも行ったことがありません。

いつか行こうと思ってはや10年。

ご先祖様に対して募る罪悪感。

この夏休み、どこに行こうか?との家族会議。

高2の娘の意見は「インスタ映える沖縄!」を強固に主張。

暑がりの中3の息子は、「涼しい北海道!」

いつもならパパの意見はガン無視されるのですが、今回ばかりは勇気を出して家族会議で大演説。

他に楽しそうな観光地を加えることを条件として、吉村家のルーツを辿る萩〜防府ツアーが不満顔で会議承認されました。

羽田から飛行機に乗って鳥取コナン空港に到着。そこでレンタカーを借りて、まずは鳥取砂丘で家族サービス。良い写真も撮れて女子高生もちょっと満足。

そのまま海岸線を西に移動して、出雲大社を参拝。松江で一泊。

翌日、山陰の海岸線を西に大移動して、目的地である萩を目指します。

山陰の道は車も人影も少なくいかにも過疎化が進んでいる模様。

山陰地方には新幹線がありません。

江戸時代の主要な交通手段であった海路を使っても大阪や東京はとても遠く、当時は陸の孤島状態だったことでしょう。

そんな不便な萩から多くの偉人が生まれたのだから不思議です。

車中では、子供達に萩出身の偉人達の話を滔々と聞かせました。

まずは、西郷隆盛、大久保利通と並び、維新の3傑の一人である桂小五郎(木戸孝允)の話。討幕の原動力となる奇兵隊を創設した私が大好きな高杉晋作の話。そして、高杉晋作をはじめ、初代総理大臣の伊藤博文、2代目総理大臣の山縣有朋、井上馨等の明治政府の元勲達を育てた吉田松陰。

洋学者、医者で発明家の天才、大村益次郎。

さらには長州ファイブと呼ばれる、日本の近代産業の礎を築いた若き5人の留学生達のストーリー。

松江からの数時間の移動中では語り尽くせないほど多数の萩出身の偉人達の逸話。

子供達も萩に対する異常なる興味が湧き上がってきた模様。

そして、ついに念願叶って遠路はるばる萩に到着!

中学生の息子の第一声は

「ちっちゃ」

書物で慣れ親しみ恋焦がれた萩。

私の感想は、、

ちぃちゃ。。

萩市の関係者の方々には大変申し訳ないが、印象は小さな漁村。

本当にこれが明治維新の英傑たちを多数輩出した長州36万石の城下町?

歴史の教科書に書かれている数々の登場人物のスケールとこの村のサイズを比べると強烈な違和感。

気を取り直し、まずは、偉人達が多数学んだ松下村塾を目指す。

感想は、、

ちぃちゃ。。

わずか8畳の座敷が講義室。

高杉晋作、井上馨、伊藤博文、山縣有朋等々の錚々たるメンバーが学んでいたとの話がなければ単なるあばら屋。

次に向かったのは、明倫館と呼ばれる長州藩の藩校。

明倫館を見て、萩に抱いた違和感は徐々に解消方向に向かいました。

その校舎のサイズが萩に不釣り合いなほど巨大なのです。

ここで数千名の若者達が当時最先端の洋学等を学んでいたとか。

この小さな村に、異様なサイズの校舎。

ここには長州藩の野望が込められていたのだと勝手に想像を膨らませました。

そもそも長州毛利家は戦国時代末期、山陽山陰の中国地方全てを統一し治めていた大大名。

それが天下分け目の関ヶ原の合戦で西軍の総大将として東軍の徳川家康と戦って敗れます。

120万石の大大名から大幅に減封されて、長州36万石へ。山陽の広島に構えていた本拠地も不便な山陰の萩に押し込められたのです。

そもそも関ヶ原の合戦は兵力と布陣から見て西軍が圧倒的に有利でした。それが小早川秀秋の裏切りにより不本意な敗戦となったわけです。

歴史に”if”は無いですが、あの裏切りさえなければ毛利幕府が打ち立てられて、広島あたりが首都になっていた可能性があったわけです。

以来、260年間、萩の士族達は、憎き徳川家を滅ぼすべく討幕への闘志をみなぎらせ続けてきたのでしょう。

討幕の準備として惜しみなく資金を注ぎ、明倫館という萩のサイズに不釣り合いなほど巨大な大学を開設して士族の教育に励んだのでしょう。

西洋の学問も積極的に教授し、そこから大村益次郎等の偉大な発明家を輩出します。

120万石で養ってきた優秀な武士団を36万石に減封されても召し抱え続け、しかも小さな萩に所狭しと住まわせたのですから、優秀人材の密度は高く、若者達の切磋琢磨ぶりは想像に難くありません。

260年前、小早川秀秋が裏切らなければ、毛利家の家臣団が日本を率いていたはず。

我らが率いれば、日本はもっと良い国にできる。民の暮らしももっと良くなる。

そうした自負心を吉田松陰をはじめとする教授陣が若者達に注入している姿が目に浮かびます。

この陸の孤島のような萩の地にありながら、日本を背負う気概で勉学に励む若者達。

地理的な不利を吹っ飛ばす教育の恐るべきパワー。

祖先の歴史は、若者の志を高め、困難を克服する勇気をくれます。

人生にはさまざまな岐路がやってきます。

迷ったら困難な道を選ぶ。

この繰り返しで偉業が達成されます。

企業においても創業者等の先達の挑戦した歴史が現役の人々に勇気を与えます。

家族も同様です。

先祖の挑戦した歴史が子供達に勇気を与えます。

吉村家の先祖は勇気を持って維新の志士達を支援したという歴史。

今回の吉村家のルーツを辿る旅。

先祖達の挑戦の歴史を知り、子供達が困難に直面した時に一歩踏み出す勇気となる?ことが旅の裏目的。

さて、萩に泊まり、翌日ついに今回の旅のメインイベントである防府天満宮を目指します。

そこには先祖が営み、英傑達を支援した旅館が移築保存されています。

防府天満宮の参道を進み、中腹で右に曲がればそこには「暁天楼」があるはず。

ついに感動のご対面!

「ちぃちゃ」


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この記事を書いた人この記事を書いた人

吉村慎吾

公認会計士として世界4大監査法人の一つであるプライスウォーターハウスクーパースにて世界初の日米同時株式上場を手がける。創業した株式会社エスプール(現東証1部上場)は現在時価総額約600億円の企業に成長。老舗ホテルのV字再生、水耕栽培農園を活用した障がい者雇用支援サービスなど、数々の常識を覆すイノベーションを実践してきた。

現在経営するワークハピネスは、3年前からフルフレックス、リモートワークをはじめとした数々の新しい働き方や制度を実証。その経験を生かし、大企業の新規事業創出や事業変革、働き方改革で多くの実績を持つ。2020年4月に自社のオフィスを捨て、管理職を撤廃。フルリモート、フルフレックスに加え、フルフラットな組織で新しい経営のあり方や働き方を自社でも模索し、実践を繰り返している。

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